わざとですよ 読めますか?

毎日の新聞が何よりの楽しみ

私の新聞好きは父親譲りかも知れません。

1人で暮らしている父の基に帰省したときのこと、

寒い朝方、ガウンを着たままの父が道路の真ん中に立っていました。

すわ、ボケの始まり⁈ 驚いて駆け寄ると、

「今日はまだ新聞が来ていない。」と、

配達を待ちかねていたのです。

 

早起きの父の日課は、新聞と共に始まります。

お茶を飲みながらゆっくりと隅々まで紙面に目を通します。

 

読み残しがあるときや、手持ちぶたさのときは、

昼過ぎもまた新聞を開きます。

 

毎日の新聞が何よりの楽しみ

父が取っていたのは毎日新聞でしたので、

仲畑貴志さんが選句する川柳コーナーがあります。

 

そこに私の友人が投稿しており、それを見つけては手帳に書き留め

帰省の折に見せてくれました。

「ほら、また賞に選ばれたぞ。」と自分のことのように嬉しそうでした。

 

新聞の休みの日はつまらない、ポサッとしてしまうが口癖でした。

本を開いている父の姿は覚えがないのですが、

湯呑片手に新聞を開いているのはいつものことでした。

 

そんな父でしたので、政治のことや社会のこと、

地域のことも関心が高く、よく知っていました。

 

確証性バイアスの罠

確証性バイアス」という言葉があります。

自分にとって都合の良い情報や興味のあるものだけに

無意識に目が行き、興味以外のものが目に入らない、

反対のものを無視する傾向のことを言うようです。

 

ネットを見ているとついついこの「確証性バイアス」に

陥っているかも、と気づくことがあります。

 

それ以上に、一度検索した情報や関連したサイトが

次々と襲って来ます。

自分の意思以上に、

そう言ったものにコントロールされる危うさを感じてしまいます。

 

でも、新聞紙面は全く別で、多様です。

自分の望む記事や、

興味のあること以外のものも目に飛び込んできます。

 

目にもの見せられた広告

今日の8面(20201010日土曜日 日経新聞Deep Insight)には

“コロナによる感染症はほかの肺炎と同じように「治せる病気」になってきた。”

“感染してはいけない、感染させてはいけないという感覚を社会にまん延させている。”

“それによってまた、失われかねない命も出て来るだろう。”

 

ギクリとした記事でした。

 

1015日から20日までは、新聞週間です。

毎年、この時期が来るたびに寒い朝の父の姿を思い出します。

 

10月10日、日経新聞朝刊6面のロート製薬の全面広告は、

見ものです。

 

1010日は「目の愛護デー」でした。

眼を大切にしましょう、みたいなキャッチではないのです。

余りの巧みさにそれこそ目を見張りました。

 

一面のこんな大きな広告を見るのも、また新聞の楽しみかも。

 

「わざとですよ。」読めますか。