チャーリー・マンガーの教え

「エアコンないんですよ。」

この春に北海道の留寿都(ルスツ)村に

ご主人の転勤で引っ越された奥様。

パリオリンピックは選手村の部屋にエアコンが無く、選手の不興を買ったようです。

そのパリの緯度は北海道より高いのに、ルスツはエアコンなしで過ごせる。

無いのはエアコンだけではなく、生活圏にはコンビニとスーパーが一軒ずつ、

気軽にランチに行けるところもなく、ご主人は毎日自宅に戻ってお昼を食べるとのこと。

東京のように何でもある便利なところではないようです。

散歩中にキタキツネを何度も見かけたし、土地の匂いというか、

アイヌのことも知りたいし、と不便を感じる間もないくらい楽しそうです。

1時間近い電話でのおしゃべりの間、「暑い」はひと言も聞かれませんでした。

「(いろんなものが)なくても大丈夫なのよ。」

 チャーリー・マンガーの教え

昨年11月、99歳で亡くなったチャーリー・マンガー氏は、

投資の神様ウォーレンバフェット氏の盟友であり、彼に強い影響をもたらした人です。

そのマンガー氏の言葉をこちらのYouTubeで見つけました。

チャーリーマンガーの教え《平賀ファイナンシャルサービシズ(株)》

ほぼ1世紀を生き、90歳を過ぎて「自分は投資家として過去の自分よりも進歩している」

と述べている生涯投資家の言葉は響きます。

要約ですがご紹介しますね。

“世界は貪欲によって動ているのではなく、妬みによって動いている。”

チャーリーは自分の富を他人の富と比較することを気にしたことがないと言う。

むしろ彼が富を蓄える動機は、常に独立を確保すること、

つまりビジネスや人生において、自分の望むことをする自由を確保することであった。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“妬みを避けることは長く幸せな人生を送るための「シンプルな」秘訣の1つである。 ”

実際2018年の研究では、妬みにかられる人は精神的な健康や幸福感が悪くなる

可能性が高いという結果が出ている。

ソーシャルメディアの台頭は、人々の妬みや物質主義への感情に拍車をかけていると批判されている。

贅沢な生活を送っている、あるいは送っているように見える人々の生活を常に覗き見ることができるからだ。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“前の世代が耐えた苦しい時代と比較すると、

何故現代の人々が自分の持っているものにもっと満足しないのか理解できない。”

マンガー自身、世界大恐慌を経験し、1800年代まで遡ると、

より貧しい生活環境と寿命の短さを人類の進歩の例として挙げている。

“人生はかなり残酷で短く限られていた。”

“印刷機もエアコンも、近代医療もなかった。”

“蒸気機関、蒸気船、鉄道、農業、水道のちょっとした改良を手に入れた意味を考えてみて欲しい。”

      

“それが1922年までの100年間で手に入れたものだ。”

“次の100年は、広く普及した電気、現代医学、自動車、飛行機、レコード、映画、冷房をもたらした。”

“それがどんなに幸せなことだったか考えてみて欲しい。”

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“この200年、そしてそのほとんどがこの100年の間に文明にどれだかの功績があったかは驚くべきことだ。”

“その結果基本的なニーズはかなり満たされるようになった。”

 

“生活水準の大幅な向上、自由、人種間の不公平の解消など、

あらゆる面で大きな進歩がもたらされたにもかかわらず人々は

現状がもっと厳しかった頃よりも現状に満足していない。これには非常に単純な理由がある。”

“世界は欲によって動いているのではなく、妬みによって動いているのだ。”

 

“誰もが昔よりは5倍裕福になったという事実は当たり前のことだと思っている。”

“彼らはいつも他の人が自分より多くのものを持っていることばかり考え、それが不公平だと感じている。”

“どんどん良くなるにつれて、人々の満足度は低くなっている。奇妙なことだがそれが現実なのだ。”

 

“金持ちの見栄っ張りな出費を考えてみろ。”

“誰がロレックスの時計を欲しがるんだ?しかし、誰もが見栄を張った出費をしたがる。”

“それが現代における需要の原動力になっている。”

 

“若者たちに忠告しておく。そっちの道に行くな。

気取った出費なんていらない。そこに幸福があるとは思えない。”

 

マンガー氏の人生におけるアドバイスは、

“とてもシンプルなことだ。稼ぐ額より少ない額を使い、

有害な人々や有害な活動を避け、生涯学び続けようと努力し、

さまざまな目先の欲求を先延ばしすることだ。

そして、本当に素晴らしいのは、人生でやりたいことをやり、

人生で付き合いたい人達と付き合えることだ。”