「新聞が読めないんですよ。」
30代の若いお母様は、周りの子供たちが新聞の読み方を知らないと仰います。
ニュースはスマホやモバイルを
スクロールしながら読む、見る。
新聞を広げて、読むためだけに
時間とスペースを取るなんて
非効率で時代遅れなのでしょうか。
それに新聞代だって安くはないし、
ネットで十分。
「でもね、ネットでは自分の興味のあるものしか見ないし、紙面を見渡すなんてこともないよね。」
「そうそう、目に入ったサイエンス欄、読んでみると面白かった。」
新聞談義で盛り上がってしまいました。
以前帰省の折、冬の寒い朝ガウンを着たままの父親が
道路の真ん中に立ち遠方を見つめています。
スワ、認知症でも始まったかなと慌てて駆け寄ると、
「今朝はまだ新聞が来てない。」
父はとても丁寧に新聞を読む人でした。
読書をしている姿は覚えがないのですが、
朝刊紙を朝に夕にひっくり返し見ていました。
川柳コーナー (毎日新聞)に私の友人の投稿を見つけると
必ず書き写して見せてくれました。
今思うと、
父との会話は新聞ネタが取り持ってくれたような気がします。
新聞は一日の楽しみの始まり、ニュース報道だけではなく、オピニオン、
Deep Insight、文化や芸術、サイエンス、小説だって読める、毎日のお届け物。
こうしてみると、これって滅茶苦茶価値がある。。。